サイパン島での体験
私の祖父は第二次世界大戦のさなか、激戦地であったサイパン島で戦死しています。
過去に「note」というウェブサイトで紹介させていただいた内容の転載となりますが、一昨年のちょうど今ごろに行ったサイパン島での遺骨収集について紹介させていただきます。

令和6年度 マリアナ諸島現地調査第5次派遣メンバー
私は日本遺族会より派遣され、令和6年1月28日から2月10日までの2週間、サイパン島に滞在し、戦没者の遺骨調査を行いました。今回の派遣団は日本遺族会より2名、日本青年遺骨収集団より大学生2名、社会人1名、国際ボランティア学生協会より大学生1名の他、日本戦没者遺骨収集推進協会、厚生労働省の担当者、合わせて9人。そこへ現地の作業員を加えたチームで調査にあたりました。

結団式・打ち合わせ
これは出発前、成田空港の会議スペースで今回の調査先に関する情報提供を受けているところです。自然環境、特に野生の動物や植生の保護についてもレクチャーを受けましたが、このときはまだ、現場の厳しさを想像できていませんでした。

今回の調査対象
現場は、民家の裏山でした。ジャングルをかき分け15分ほど歩いた先にあった小さな洞窟です。

戦場へ足を踏み入れたことを実感
通路の奥には空間が広がっています。この通路にはたくさんの焼けた地下足袋、錆びついた小銃。奥の空間に居る人々を必死で守る姿を克明に想起させる遺構です。

ここでの主要なご遺骨は既に持ち出されていたと思われる
80年の歳月で空間の中の様子は当時とだいぶ変わったようです。天井が崩れ落ち、その瓦礫の下にご遺骨は眠っています。

それでも瓦礫の中から骨片や遺留品は見つけることができる
瓦礫の中から小さな骨片ひとつも見逃さないように、土砂をフルイにかけているところです。ぴかぴかの金歯、赤ん坊の肩甲骨、美しい指輪、壊れた腕時計、赤い革靴の欠片、小さな品々が訴えかけてきます。私はここで、初めて戦場を実感しました。

祖父は弾薬装填員として働いていたとの記録が残る
調査の合間に、祖父の勤務地「ラウラウ砲台」へ案内してもらうことができました。厚生労働省に残っている記録によれば、私の祖父寅男は、この島に1年ほど滞在していたようです。どのような最期だったのか、いつ、どこで亡くなったのか、正確な記録はなく、玉砕の日である昭和19年7月8日を命日としています。

洞窟の近くに、その洞窟に向け置かれていた小さなマリア像
今でも、この世界のどこかで、民間人を巻き込むような戦いが続いています。80年前は私の祖父も戦火の中にいたわけですが、遠い過去の出来事として、これまでは自分事として捉えることはできていませんでした。戦没者遺族のひとりとして、今後もこうした調査に携わっていきたいし、当時のことをもっと知らなくてはいけないと強く自覚しました。そして、体験してきたことを何らかの方法で今後、表現していきたいと考えています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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