母と祖母の話を聞く
昨日と一昨日は、母が生まれ育ったまちの方々とじっくりお話しする機会に恵まれました。中学時代の同級生や幼馴染、いとこなど、母をよく知る方々から、これまで聞いたことのなかった「母の物語」を伺うことができました。
戦中生まれの母。戦後間もない混乱期を生きてきました。今では耳にすることの少なくなった「母子寮」という言葉や、戦争未亡人が珍しくなかった当時の社会情勢。現代より不自由な時代だったかもしれませんが、「みんな一生懸命で、心は豊かだった」という言葉が印象的でした。
裁縫を家業とする塩入家へ嫁ぐにあたり、母は市内の仕立て屋さんで裁断の修行も積んだそうです。その後、結婚して東京の洋裁店で働くようになると営業もこなすように。飛び込みで入ったクラブのママのために仕立てた一着が評判となり、そこから口コミでお得意先が増え、大いに繁盛したのだと聞きました。
母方の祖母は、初孫である私をその手に抱いた数カ月後に亡くなってしまいますが、やはり働き者のかあちゃんとして慕われていました。まさに家族のため身を粉にして働いたひとだったのだと思います。
父方の祖母の話にも及びました。戦争未亡人であった祖母は、東京を焼け出された塩入一家を西塩田、手塚の実家に招き入れてくれた、塩入家にとっての大恩人です。まちの食料品店で魚売りとして働いていた祖母の姿は、私の幼心にも懐かしい記憶として残っています。
今回は何だかまとまりのない話になってしまいましたが、いろいろな方からこのようなお話を伺えたことがとても嬉しく、書き残しておきたかったのです。お目汚し失礼いたしました。
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今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました!
塩入友広
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