地域を歩いて見えた、「暮らし」の現在地
昨年末に会社を辞め、通勤のない生活が始まって3週間が経ちました。通勤に使っていた時間がまるごと自分のものになるかと思いきや、自治会やまちづくり協議会、そして新しい仕事への準備と、思いのほか慌ただしい日々を過ごしています。
そんな中、住宅地図を片手に近所を歩き、これまで接点のなかった方々とお話しする時間を作っています。西塩田、手塚という同じ地域に住んでいながら、お顔とお名前が一致しない方、初めて言葉を交わす方がこれほど多いことに驚いています。
見えてきた「日中独居」と、地域の温かさ
平日の日中、家族が仕事に出ている間、高齢者のみで過ごされている世帯が多いことは知っていましたが、実際に歩いてみるとその多さを肌で感じます。統計によれば、現在65歳以上の高齢者がいる世帯のうち、半数以上が「単独世帯」か「夫婦のみ」だそうです。三世代同居が当たり前だった時代から、家族の形は大きく変わりました。
あるお宅でお話を伺うと、私が消防団にいた頃の先輩のご実家でした。その先輩は毎朝、出勤前にご実家の様子を見に来ているそうです。「鍵を開けるために寒い中、玄関まで出なきゃいけないから困るんだよ」と、その方はなかば冗談めかしながら、しかしとても嬉しそうに話してくださいました。
この集落のお年寄りは、お年のわりにお元気な方が多い印象です。家の中での移動に歩行器を使われている方もいらっしゃいますが、耳が遠くて会話が難しいという方には一人もお会いしませんでした。聞けば、ご近所同士でお茶を飲んだり、頻繁に行き来があるとのこと。こうした日常のコミュニケーションが、心身の健康を支えているのかもしれません。
「孤独死」の現実と、現場の対応力
一方で、昨日ある自治会長さんから伺った孤独死の話は、地域のもう一つの現実を突きつけるものでした。新聞が2日分たまり、夜も電気が点いたままになっていることに近所の方が気づき、発覚したそうです。マニュアル化などされていない有事の事態に対し、その自治会長さんが臨機応変に、かつ責任を持って対応された様子を伺い、その役割の重さと行動力に深く感銘を受けました。
これからの「幸せな暮らし」を考える
会社という組織を離れ、地域を歩くことで、「高齢化社会」という言葉の本当の意味を実体験として突きつけられています。核家族化はすでに文化として定着し、すぐに時計の針を戻すことはできません。平均寿命が延びたことで、退職後の人生はかつてより遥かに長くなっています。
かつて家族が同居し、家庭内で完結していた互助の機能が薄れた分、それを補うための社会保障コストは増大し続けています。日本の社会保障給付費は、平成2年度の約47兆円から、令和4年度には約134兆円へと、この30年余りで3倍近くに膨れ上がっているといいます。家族で支え合っていた時代には発生しなかったコストが社会全体にのしかかっている、それが現代の生きづらさの一端にあるのかもしれません。
しかし、制度やお金の問題以前に、私たち一人ひとりの「生活に対する考え方」や「近所との関わり方」ひとつで変えられるようにも感じます。誰もが取り残されず、幸せに暮らせるヒントは「お茶飲み話」のような関係性の中にあるのではないか。そんなことを考えながら、私が暮らしている地域を歩いています。
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