初詣に思う
昨年大腿骨を折った母はすっかり回復しました。
上田招魂社の総代を仰せつかってから、元日は売店でお守りや破魔矢を頒布するという任務が加わりました。 朝は普段通りに起き、家族とおせちや雑煮を囲んで新年を祝います。その後、速やかに近所の八幡社へ初詣を済ませ、すぐさま招魂社へと向かう。これが私の新しい元日のリズムです。
上田招魂社へ移動。同じ上田城跡公園の中にある真田神社さんの賑わいとは対象的に静かな境内。
客足が落ち着いた合間、同じ総代の方とペリリュー島での遺骨収集についてお話しする機会がありました。現地の集団埋葬地では、日本兵の遺骨は担架に乗せられたまま、きれいに整然と並んで眠っていました。ひどく傷んだ遺骨も、他の方と混ざることのないよう米軍の雨具(ポンチョ)に丁寧に包まれ、葬られていたのです。
かつての敵軍が、戦火の中でこれほどまでの敬意を持って埋葬してくれていた。その事実をお伝えしたとき、その方は絞り出すようにこうおっしゃいました。
「羨ましいなぁ。うちのお父さんは海に沈んだままで、まだ手つかずなんだよ。」
「羨ましい」という言葉に込められた、何とも言えない寂しさと割り切れない想い。遺族会で活動する先輩の言葉だからこそ、その重みが真っ直ぐに胸に刺さりました。戦後80年が過ぎてもなお、戦没者遺族の心の中では癒えない傷として残っているのです。
現在、厚生労働省などは平和の語り部事業を推進していますが、今のままでは話したい人と聞きたい人の想いがうまく噛み合っていないように感じます。 語り継ぐ場を作る前に、まず、どうすれば若い世代をはじめ多くの人に戦争の話に興味を持ってもらえるのか。その心の土台作りこそが、今取り組むべき課題ではないか。 そんなことを自問自答しながら過ごした、2026年の幕開けでした。
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